耳がかゆい

姉の誕生日で、実家に帰っていた。姉の誕生日は先代の猫の命日でもある。7年前、硬くなってしまった猫の遺体のとなりで、泣きながらケーキを食べた覚えがある。姉には少し気の毒な話だった。
 前の猫は3年くらい家にいた。とても警戒心の強い子で、私以外の家族にはちっともなつかなかった。私が世話焼きだったのと、そもそも気が合うところがあったのとで、私たちはいつも一緒にいて、寒くなると毎晩同じ布団で眠った。私が修学旅行でしばらく留守にしたあとに戻ると、毛が急にたくさん抜けたそうで、背中の一部がはげていた。ごはんもあまり食べなかったという。怖い顔で睨みつけられて、私はたくさん謝った。
 彼女は猫エイズ白血病を患っていた。推定で4歳になったばかりだったと思う。亡くなった日の夜、いつものようにおなじ布団で眠り、硬くて冷たい肉球を撫でながら、剥製を作るための費用のことを考えた。結局、翌々日に荼毘に付して、2年くらいしてから、骨を庭に埋めた。
 なさけないことに、自分のことで悩むのに忙しくて、7年前のできごとを当日のうちには思い出さなかった。日付が変わってから寝床に入り、あっと思った。思い出さなかったことが面目なくて、涙が出た。
 今の猫がうちに来てからは6年と少しが経つ。無邪気な猫で、保護したその日の夜から廊下の真ん中で寝ていた。その時にはもう高校をやめていたけれど、次の仕事も決まっていなくて暇だったから、私はまた色々と世話を焼いた。前の子と比べるとかなり精神的に健康で、特定の家族に依存することもない猫だったから、世話の手間はかなり分担されるようになった。私には心を開いてくれた安心感に優越感が混ざっていなかったといえば嘘になるから、少し寂しくもあったけれど、日向でふわふわの毛を干しながら鼻をぴすぴすいわせているのを見ると、何が何でも幸せでいてもらわないと、みたいな責任を感じたりもした。この時点でなにかがものすごく間違っている。動物には相対的な幸せも不幸せもないし、あったとしてそれが他人にわかろうはずもないのだ。それを手前勝手な目標や義務に設定するのは、どちらかというと愚かだと思う。
 実家に帰った話に戻る。母と今後のことについて少し話して、私の体質とか発達の特性なんかを考えるとまああんまり良い見通しはつかないよね、みたいな結論になった。私がどうしようもない鬱で不注意で世の中のどこにも居場所がなくなっても(それほどに自分の娘の社会性を信頼しない能力というのもすごいなと思うが)最悪うちに帰ってくれば扶養には入れておいてやるから、心配しなくて良い、という。まあ親にしてはありがたい部類と思うべきなのだろう。私の能力を過小評価する代わりに、私の無能さには確固とした信頼を置いている人だ。それで悲しい思いもしてきたものだが、こういうときにはありがたい。しかし私の社会性は信頼していなくても家事能力と人格はそれなりに信頼してくれていそうだから、ひとたび帰ったが最後三十過ぎまで主婦もどきのニートをすることになりそうだ。おそらくそれを彼女も望んでいるんだろう。何のために家を出たんだかわからない。と書いてみて、一体何のためだったのか、実際よくわからないことに気づいた。
 家を出る少し前、私の個人史に残る大不調がやってきて、どのくらい大きいかというとおそらく牛久大仏くらい大きかった。布団に挟まれたサンドイッチの具の仮装を、たぶん2ヶ月くらいしていたんじゃないかと思う。それまでの私は「私が働かないと家が回らないから」と思って率先して家事の役回りを引き受ける傾向にあった。けれど発狂してサンドイッチになってしまった人にそれはなかなか難しいものだ。その頃の母の気持ちを思うと涙が出てくる。残業続きでへとへとに疲れて帰宅してみると、洗い物も食事の用意もできていない。数週間前までは全部できていて、ご飯を食べてお風呂に入って寝ればよかったのに。母親の大きなため息とイライラした声と、たまに嗚咽が自室の扉の隙間から聞こえてくるのに、私は身を固くして耐えることしかできなかった。そのうちに母親が、不満と困惑の隠しきれない声で「今日はどうしてたの?大丈夫?」と尋ねてくる。きっとこの人は私を責めたいんだろう。なんでご飯できてないの、お風呂溜まってないの、と、可能なら怒鳴り散らしたいんだろう。でも母もそれまで私の自主的な自己犠牲に甘えていたことを自覚していて、大声で責め立てるのは親として良くないと考えるくらいの冷静さは持っているんだろう。母はわがままなようでいてあんまり本音を言わない人だし、いまや夫も両親も頼れない境遇にあるから、子供である我々が支えてやらないといけないのだと、頭ではわかっているのだけど。
 まあとりあえずそんな感じの時期があって、家庭内の諸々がある程度私抜きで回りだしたので、「この家、私がいなくても大丈夫なのではないか」と思ったのが家を出ようと思ったことの始まりだったと思い出した。私がいなくても機能するように再設計され始めた家に居場所がないのは当たり前だ。ちょうどその時は奨学金やらで経済的にも余裕があったし、まあ、色々なことを言われたので、ここにはちょっといられないな、と思ったのも大きい。ここで唯一心配なのは猫のことだった。人間がいくらか不衛生な環境で生活していようがある程度自己責任の言葉に帰してしまえる(それもどうかと思うが)が、猫はそうはいかない。自分名義で家を契約できる年齢になってからそれまで、一人で暮らしたいと思うことは幾度もあったけれど、行動に移さなかったのは猫の存在があったからだといってよい。けれど先述のように猫の面倒を見ていたのは私だけではなかったし、私が動かなくなってからの猫の生活も、そんなにひどいものではないというか、大して変わらなかったので、まあ大丈夫だろう、と思い、えいやっと引越してしまった。要するに、私は自分の満足を、猫の生活の向上に優先させた。
 その猫が病気になった。ここで今日昨日何かを発症したかのような言い方をするのは厳密には正しくない。片目の茶色い斑(虹彩メラノーシスという)が数年かけて少しずつ広がってきていて、症状のいくつかが悪性を示している、というのがそのときまでの状況だった。悪性かどうかを判断するには、また悪性であった場合の転移を防ぐには眼球を摘出してしまうしか方法はなくて、目視などそれ以外の方法で判別できる段階になるとほぼ確実に他の部位に癌が転移した後になってしまう。そうなると、たくさん苦しんで死ぬ道しか残されない。全ては偶然に起こったことで、誰の責任でもない。理屈の上ではそうなのだろう。
 費用のことはどうとでもなりそうだが、家族間で手術に対する重大な意見の相違がありながら、今の今まで、突発的に発生する怒鳴り合い以上の話し合いを持たずにここまできていそうなのがかなりまずい。猫がこれからどこに行くのかを問うことは私たち家族がこれからどう(さらに)ばらばらになっていくかを問うことでもあるから、特に母にとっては触れたくない話なのだろうけど。母はとにかく手術に強硬に反対しているので、私がうっかり手術の日程を口走ると、手術の前日に猫を連れてどこかへ逃げるという。姉も自分が先にそうするつもりだったと怒鳴り返す。私はまた泣く。
 この数ヶ月のことは全て夢で、今ではやっぱり自分の人生を自分のものとして楽しむ資格も器も、私にはなかったのだと思う。帰り際、その家にいるのがあまりにつらかったので、「私昨日どうして帰ってきたんだっけ」とつぶやいたら、姉に「私の誕生日だからだ」と怒られた。当たり前だと思った。
 この文章は三回くらいに分けて書いたのだと記憶しているけれど、あまりに消耗する内容だったのでその一回ごとに十回くらい休憩を挟み、二回くらい声をあげて泣き、何を書きたかったのかももう思い出せない。少なくとも最初の予定よりやや塩辛くて金臭い文章になってしまった感じはする。
 いまは奨学金の申請や、アルバイト、就活、研究にかかわる諸手続きのことなどを考えて、疲れている。結局のところ、何もしたいことはない。したくないことはたくさんあるから、したくないことをしないための選択をしていくしかないのだろうけど、体が動かない。息がしづらい。来年の今頃はもう少し楽しくやっているといい。それまで元気でいられればだけれど。猫の遺影がこちらを見ている。読んでくれてありがとう。

うーん

言葉が出ない。どうしていいかわからないから。つらいことがあるとき、楽しいことをする権利はないだろうか。病気の家族がいたら、遊びに行ってはいけないだろうか。喪に服すという習慣はすごく理に適っていると思うが、完全な絶望も完全な幸福もまだないとき、どうしたらよいだろうか。普通の顔をして暮らしている自分に耐えられない。私は大好きな猫のことをまた幸せにしてやれなかったのだろうか。どうしていいかわからない。

2023/05/10

 大学院生というものになって早1カ月が経つという事実をいまだに呑み込めないでいるのは、自分の研究というものがちっとも進んでいないからだ。講義やゼミに出るのは楽しいし、先生に読めと言われたものは喜んで読むけれど、こと自分の研究となると不安で仕方がなく、ほかならぬ私が国のお金を使ってその作家について、ないしは国や時代について調べることに何の社会的意義があるんだろうということばかり考える。知り合った院生の研究の話を聞いては馬鹿みたいに「あ~いいですねえ」とか「かっこいいですねえ」とか言って自分の研究以外はみんなすごくかっこうよくて有意義に見えている気持ちを丸出しにしている自分に気がつくとき、私は自分がたまらなくみじめな人間に思える。
 というところまで数日前に下書きを書いてそのままにしていた。状況はたいして変わっていなくて、体調は悪い方に変わった。考えるのはいつも自分のできていないことと会えない猫のこととお酒のこととおもうようにならない人間関係のことで、何かの助けにならないかと本をやみくもに注文したり本棚から引っ張り出したりしてはそのどれともわかり合えない自分に絶望する。このブログはこういうことを言う場所にしたくなかったのだけど、今は何もおもしろいことが言えない(これまではおもしろかったのかと言われたら困ってしまうけれど)。誰かがシャンタル・アケルマン相対性理論岡崎京子のどれかに触れて私とお話ししてくれると、ちょっとごまかされた気持ちになれると思う。

2023年2月3日

 非常に寒い。今日は節分で、卒業論文のシモンというやつがあった。シモンというのは、自分の持ってきた腐りかけの魚が白木のまな板の上に載せられて、鼻をつままれながら検分されるような、そんな感じの体験。やったことのない人は、一度やってみるといい。でも愉快な体験ではないことはたしかだから、むやみに薦めるつもりもない。
 私の卒業論文は一行あたりの字数が指定よりも多かったらしい。私は指定枚数の最後の行までミチミチに書いたので、2枚分くらい超過してしまったことになる。思ってもいなかったことを言われて、真っ白になった頭で、今から直して提出することはできますか、と尋ねた。先生がこたえたのは、そうしてもらうか、大きな減点になるでしょう。ということだった。私は受け取ってさえもらえるならよかったので、そうか、残念だけど、よかったなと思った。
 シモンが終わったあとは、食事をしに行った。論文について色々なことを立て続けに言われてぼんやりするので、何か口に入れないといけないと思ったからだ。たぶんほとんどすべての大学についていて、いつも何かしらの「フェア」をしている場所のことを学食という。今日は「1年間ありがとうフェア」だった。私は今年度片手で数えられるほどしか学食で食事をしていないし、感謝されるようなことは何もなかった。「ありがとうフェア」の商品も、なにが「ありがとう」なのか、よくわからない。季節ものや、人気のあるものや、そんなマークがついたメニューに悩んだあと、結局何もついていない「豚すき煮」をよそってもらった。「やみつきキャベツ」にはコーンの粒がかかって美味しそうだったので、それもトレーにのせた。朝食を食べてから3時間くらいしか経っていないから、ご飯はもらわずにおいた。自分の意思に反した選択をしやすい私にはめずらしく、自分の食べたいものだけを選べたと思った。
 トレーの中身をレジで精算してもらった。最近、大学生協は「アプリ」を導入したという。私はそれを承知してはいたけれど、大学でごはんを食べないから、アメリカの憲法修正くらいのことにしか考えていなかった。だから、いつものカードで「精算ができません」よと言われたときは、大変に面食らった。「アプリに登録してください」ということだった。レジは混んでいなかったけれど、事前に登録しておくべきだったと思う。一旦現金で払うことにすると、数日前の旅行でウノ大会に勝って手に入れた新500円玉が崩れて、少し悔しいような思いがした。席に着くと、いつ箸を取ったのか全く覚えていないのに、トレーに箸が載っていて驚いた。
 食事と「アプリ登録」が済んで、次の予定までにも時間があり、さてどうしたものかと決めかね放心していた。30分くらい経つと、シモンの時にいた先生がやってきた。私にはいわゆる指導教員という人が何人かいて、その先生はそのうちの1人でもあった。彼は学生にウケるレトリックをなんとなく心得ていながら、誰ともそんなに仲良くならない、そんな感じのする人だった。彼のジョークは、本気でそう思って言っているのか、それともその場の人にウケるために言っているのか、いまひとつわかりかねる。なので、私はあんまり彼と話すのが得意でなかった。先生のトレーには、私と同じ「やみつきキャベツ」と、豚丼が載っていた。Sサイズだ、と私は思った。彼は食事をしながら、私の論文のことや最近の仕事について当たり障りのない話をひとしきりすると立ち上がって去っていった。午後のシモンを聞くのだという。大変だ。私は帰ることにした。
 家に向かうバスに乗っていると、ある女性が話しかけてきた。どうやら私に席を譲ってくれようとしているようなのだけど、私は彼女の言っていることがあまり聞き取れなくて、とりあえずお礼を言いながら降りて行った彼女の席に座った。私の具合が悪そうにでも見えたんだろうかと彼女の言葉の録音を脳内再生していると、つい今しがた私の横に立っていた人が、明らかに少し変わった動きをしているのが見えた。彼女が言っていたのは「あのひと触ろうとしているので、ここ座ってください」だった。お礼を言いたくても、彼女はもうバスを降りてしまって、姿も見えなかった。
 家で自分の顔や爪をいじくって、少し寝ると4時半になっていた。今度はさっきの先生がかねてから計画してくれていた食事会に行くから、スカートと靴を履き替えて外に出た。さっきより寒かった。それでも、今日のバスは節分祭で私の卒業論文のようにミチミチだから、自転車で行くことにした。明日からはもっと自転車に乗ろうと思う。なんといっても立春だから。

Tourist (Remastered) [Deluxe Version]

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断片(2023年2月2日)

 今日は学部生活最後のテストがあった。その授業は先生が出席をとらないので2回か3回しか出ていなくて、この授業の単位を取れないと卒業できませんから気をつけて取ってくださいね、と教務の人に釘を刺されていた授業だったので1週間くらい前からにわかに不安になり、かといって何をするでもなくその先生の書いた新書をぱらぱらめくったりしていた。前日はすごく眠かったので6時に起きて午前中勉強すればいいと考えて寝ることにしたのが10時ぐらいだった。起きたのも10時だったので勉強は1時間くらいしかできなかった。夢の中でも眠くて、21時50分台に起きてショックを受ける場面があった。今年の冬はすごく眠い冬で、眠いから授業にも出なかった。次の冬はそんなに眠くない冬だといい。眠いせいで1年が8か月になってしまうから。
 テストが終わってすぐに帰る気にもならなかったので、大学内の飲食スペースでミルクティーを買って飲んだ。飲みながら最近買った後藤護さんの『黒人音楽史 奇想の宇宙』を読もうと思った。まだ読み始めたところなので感想は書けないが、黒人音楽を後期ルネサンスマニエリスムやゴシック文学の文化史に連ねる試み。後藤さんは研究の先達として学魔高山宏先生のお名前を挙げているが、2年位前に高山先生の書いたものを読んで、そこからグスタフ・ルネ・ホッケのことを知ってシェイクスピアのことを調べたことがあった。高山先生もホッケ先生も面白いのでおすすめする。小さいころ食卓にホッケが並ぶたび、この干物をマヨネーズにつけて食べるのが居酒屋の定番なんだという母の話を聞いてきたのに、実際に居酒屋さんでホッケを食べたことがない。今度食べにいきたいけど、どこにあるんだろうか。ホッケが食べられる場所をわざわざ検索するのもおかしい気がする。
 本を読むのも眠かったので、なんとなくYouTubeを開いた。スクロールしていたら、ある動画が勝手に始まったのでそれをながめることにした。TWICEというグループのナヨンさんと、同じグループのダヒョンさんとの間に不和があるという風説を、いくつかの動画を根拠に否定する動画で、全体で6分くらいあった。私の中学生の時の持久走のタイムと大体同じだ。そんな風説があること自体知らなかったが、ナヨンさんには少し思い入れがあるので、擁護されているのを見るのに悪い気はしなかった。外部の人間が勝手に好きだ嫌いだをはやし立てるのはナヨンさんにもダヒョンさんにも失礼で、そんな噂を流す人のことを嫌だなと思ったが、私の卒論も言ってみれば人と人がいがみあっているのをつついたようなところがあるので何とも言えなかった。不快なものと面白いものとは、ほとんど隣くらい近くにあるのだ。アンジェイ・ズラウスキーとか、パゾリーニの『ソドムの市』とか、最近知ったキム・ギヨンとかの映画を観ているとすごくよくわかる。
 2分くらいで、風説がまったくの無根拠だという動画作成者の主張は十分に理解できたので見るのをやめた。ツウィさんはいつどの角度で画面に映っても美しいのですごい。そのあと5分くらい放心していたが、家の鍵をかけていないのを思い出して帰ることにした。最近自転車を買った。コストコで。結構大きくて、新しいのでつやつやしている。考えてみると自分で自転車を買うのは初めてだ。12歳くらいの時に買ってもらったものをなくして以来持っていなくて、そのうちに家人の自転車が「家の自転車」化してきたので、それに乗っていた。この間パンクするまで乗っていた、知り合いに譲ってもらった自転車が久しぶりの「自分の自転車」だった。そして今度は自分の自転車を買ってしまった。自分で自転車を買うなんてかなり大人だ。だけどそれを言うなら、私は今自分の家賃まで払っているらしいし、気づかないうちにすごく大人になっているようだ。大人は1カ月に10万円も20万円も使うというから。
 新しい自転車はしっかりしてよく走りそうで、それでいてカゴも大きく、アイドルでいうとEXOのシウミンさんみたいなタイプだ。フレームがサドルの下からハンドルまで一直線につながっているので、乗り降りの際は大きく跨がないといけない。母親はこの自転車を一目見るなり、絶対に転ぶから怪我をする前にいますぐ売れと私に迫ってきた。母親はこのタイプの自転車で転んだことがあって、彼女の中の私は私の中の私よりもかなり彼女に似ているので、私にも遠からず同様のことが起こると思い込んでいるのだ。こちらとしては買ったばかりのシウミンさんを手放すことは考えられないので、私と彼女が似ているようでかなり違うことをまくし立ててしまった。今考えると、心配してくれた人に対してあんな言い方をしなくても良かったかもしれない。転びそうなことは確かに否定できないから。昔バレエの教室から帰っていたとき、傘が車輪に嚙んで自転車から放り出されたことがあった。自転車は田んぼ脇の水路に半分突っ込んで、傘は折れてしまっていた。黄色い傘だったので、夜の水路の中でもすぐに見つかった。同じ転び方をした人とこの間話をした。その人はそのとき腕が折れてしまったらしいから、すり傷一つなかった私は運が良かったのだろう。バレエをしていると怪我をしづらいというけれど、あの時私がほとんど怪我をしなかったのは体が柔らかいからとかではなくて、中にタイツを着こんでいたからすりむかなかっただけだろうと思う。
 その時期は同じ教室に通っていて家が近くの友人のお母さんに迎えに来てもらい、3人で帰っていたのだが、そのお母さんは一緒に走っていた子どもの自転車が突然倒れて大いに肝を冷やしたことだったろう。その友人とは彼女が教室に入ってきて以来6年くらい一緒に通った。お互いの家の中間地点で待ち合わせてから向かうのが同じ曜日同じ時間に週2回かならずあったのに、私たちは毎回どちらかがどちらかの家に電話してその日の待ち合わせの時間を決めていた。毎回の時間を決めたらと母親に何度言われても(そしてたぶん向こうのお母さんも彼女に何度となく言ったと思うが、それでも)、私たちは毎回電話して今日は50分とか今日は55分とか決めていた。単純計算で576回くらい電話をしてそうやって通っていたことになる。今になって思うのは、そうすることに特に理由はなかったし、すごく非生産的だということだ。彼女の電話番号は自分の電話番号の次によく覚えていたのだが、今思いだそうとしてみても思い出せなかった。
 自転車で帰る途中にある神社で節分のお祭りをしていた。行きしに見たときはさしたる印象もなかったのだが、帰りには火を焚いているのが見えたので寄ってみた。火には人を引き寄せて固定する力がある。繁盛していないお店や一人暮らしで寂しい人は火を焚くといいと思う。火を見た後にお参りをして、くじを引いた。今年はたぶん人生で初めて元旦に初詣に行かなかった。今年は人生で初めてのことがすでに多い。一行目から「学者出家などする人」に向けたメッセージだった。学問と出家は一緒くたにされるものらしい。あとは能力を無駄にせず真面目にがんばれよと書いてあった。こちらは眠いのに面倒なことを言わないでほしい。

絵本『はじめてのうんてん』

さく・え はなみ


ある あきのひ。

わかばちゃんのおうちの ゆうびんうけに、

こんなちらしがはいっていました。

「たまご ひゃくえん。

とりももにく ひゃくグラム はちじゅうはちえん。」


「おかあさん、これみて。

きょうは、まんだいの やすうりのひだよ。かいにいこうよ」

けれど、おかあさんは うんといってくれません。

「やすみのひくらい、すきなことを させろ」

と、こういうのです。

「そういえば、このあいだ うんてんめんきょをとったなら ひとりでもいけるじゃないか」

「なら、わたしがうんてんするから、いっしょにいこうよ」

「それはいやだなあ。おまえはきっと、うんてんがへただから、いっしょにのるくらいなら、おかあさんがうんてんする。でも、きょうはしない」

わかばちゃんは こまってしまいました。おかあさんが そういうのなら、ひとりでいくより しかたありません。あきかんや、トレイもたまってきているので、どうしても、きょう すててしまいたいのです。

「わかった わたしひとりでいく。じこしても しらないからね」

わかばちゃんは そういって あきかんのふくろをもつと ひとりで とびだしていってしまいました。

「ほうてきには わたしひとりで うんてんしても なんのもんだいもないもんね」

きょうしゅうしょ で もらったわかばマークを

くるまのまえとうしろに つけ、しゅっぱつ しんこうです。

ところが、なぜだか いくらエンジンのぼたんを おしても

エンジンが かからないのです。

「あれ?おっかしいなあ、このくるま、どうしちゃったんだろう。

あ、ブレーキをふんでいなかったんだ!」

ブレーキをふみ ボタンをおすと、くるまはたちまちうごきだします。

いきおいよく でてきたわかばちゃんですが、なんだか、ふあんなきぶんに なってきてしまいました。

「きょうしゅうじょ でてから しばらくたっているものなあ。ほんとうに わたしひとりで だいじょうぶかしら」

わかばちゃんは くびをよこにふると こういいました。

「きっとだいじょうぶ。みんな、うんてんしてるんだもんね」

 


わかばちゃんのうんてんする くるまは ちゅうしゃじょうをでて すすんでいきます。

「あ、ナビをつけてない!」

いつものスーパーとはいっても ナビがないと なんだか ふあんなものです。

「どうしよう。どこかに くるまをとめて、ナビをせっていしないと」

きょうしゅうじょで ならったことを すっかりわすれてしまった わかばちゃんには くるまをとめられるばしょ とめていいばしょが どこなのか ちっともわかりません。

「つぎの あかしんごうで ひっかかりそう。そのときに せっていしよう」

あかしんごうで とまるやいなや ナビをせっていしはじめます。けれども なんだか うまくいきません。

「あれ、どうして でてこないんだろう。おかあさんや きょうかんが いたときとは ずいぶんちがうなあ」

そのときでした。うしろのくるまの クラクションが プップー!となったのは。いつのまにか、まえのしんごうは あおにかわっていたのです。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

うしろのおじさんに きこえるはずもないのに、なんどもあやまります。ルームミラーごしにみえる おじさんのかおは ふきげんそうで、わかばちゃんは こわくなってしまいました。

「はやく まんだいにつきますように」

 


そんないっしんで ハンドルをまわしたり ブレーキをふんだりしていると、やっと うれしいことに まんだいのかんばんが みえてきました。

「やった!ひとりでまんだいにいけた」

けれども よろこぶのは まだはやいのです。まんだいは にんきのスーパーなので ちゅうしゃじょうが いつも とてもこむのです。

「あそこが あいていそう」

ゆっくりと むかっていきます。ちゅうしゃじょうないは さいじょこうだからです。

ところが、むこうからきたひとが そのばしょを うめてしまったのでした。もう あいているばしょは ありません。わかばちゃんは なきそうになりましたが、ないても わらっても ちゅうしゃじょうは いっぱいなのです。

「もう、しゃどうに でられないよー。どうしよう?」

そのとき、うしろのばしょに とめていたくるまが うごきだしました。かいものをおえて でていくようです。そのくるまのひとは わかばちゃんのほうをみて、

「ここ、どうぞ」

といったように おもえました。

わかばちゃんは うれしくなり たくさんえしゃくを したあとに、ごかいくらい きりかえして、なんとか そのばしょに くるまをいれました。バックで くるまをすすめていると まどからみえる うしろのくるまが どんどん おおきくなってきて、あっときがついた わかばちゃんは すんでのところで ブレーキをかけました。

「そうだ!このちゅうしゃじょうには くるまどめが ないんだった。あぶない、あぶない」

ぶつけてしまっていたら どうなっていたか、そうぞうすると こわくなりました。ほけんには はいってもらっている とはいえ、これいじょう ほけんりょうをあげて かけいに ふたんをかけるわけには いきません。

 


なにはともあれ それからのおかいものは、もう たのしくて なりませんでした。だって、いくらおもいものをかっても だいじょうぶなのですから。

わかばちゃんは ワインをさんぼんと はくさいをひとたま ぎゅうにゅうをにほん ねこのごはんを ふたふくろかって くるまにのせました。

「めんきょをとって ほんとうによかったな。もう、うでがいたいと おもいながら にもつを はこばなくて いいんだから」

あとはかえるだけと おもいながら、こんどはちゃんと ナビをせっていします。

ちゅうしゃじょうも いれるときと ちがって、でるのは かんたんです。

あんしんして はしっていた わかばちゃんですが、うっかり うせつのばしょを とおりこしてしまいました。

「あそこで まがらないと いけなかったのに」

わかばちゃんは アスペルガーのけいこうがあるので、よそうがいのできごとに よわいのです。

なみだがでそうになる わかばちゃんに、ナビは さんびゃくメートル さきをまがれと いいました。

けれども、そのみちを まがったしゅんかん、わかばちゃんは こうかいすることに なりました。なんてせまい みちなんでしょう!たいこうしゃがきたら きっとすれちがえません。

しかも まえのほうには じてんしゃが わがものがおで はしっています。

こんなみちを あんないするなんて、ナビはいったい なにをかんがえているのでしょうか。たよりにしていた ナビのことも しんじられなくなり、わかばちゃんは ほんとうに なきだしてしまいました。

「やっぱり わたしみたいなひとが くるまをうんてんしようだなんて かんがえちゃいけなかったんだ」

けれども ないていても はじまりません。すぐにでも バックでみちをでたい きもちをこらえ、

「すこしでもはやく このみちをでよう」

と、ひとりごとをいって ブレーキから あしをはなしました。きょうは とりにくのグラタンと なまハムサラダのばんごはんを つくらないと いけないのです。

じてんしゃを おいこすのは こわかったけれど、わかばちゃんは これまでになく しゅうちゅうして うんてんしました。

けれども、まっくろなアルファードが まえからやってきたのは そのときでした。

「そんなくるまで、こんなみちを とおらないでほしい」

そうはいっても はじまりません。できるかぎりひだりに くるまをよせ、あとはアルファードにまかせようとおもった そのしゅんかん。

ガガガッ!というおとがして、わかばちゃんはとびあがりました。みると でんちゅうに ミラーがあたって しまっています。そのときの わかばちゃんのあたまにうかんだのは、おかあさんの おこったかおでした。

「おかあさん、おこるだろうなあ。しゅうりだい はらえって いうにちがいない」

アルファードは いってくれましたが、わかばちゃんは がっくりとして いえまでのみちを とろとろとすすみました。うしろのくるまが おこっているような きがしましたが、それよりも おかあさんの おこったかおのほうが こわかったのです。

なんとか いえのまえまできて、にもつを おろしました。かったときは あんなにうれしかったたべものが、いまはちっとも うれしくおもえません。

いえにはいると、おかあさんは コーヒーをのんでいました。

「おかあさん、あのね、わたし、でんちゅうに ミラー、こすっちゃったの」

わかばちゃんは、ふるえるこえで いいました。

おかあさんは びっくりしたような かおを しましたが、すぐに こういいました。

「なあんだ、そんなことか。わたしの わかいときなんか、もっといろんなとこ ぶつけてたよ。わかばが ぶじなら いいんだよ」

わかばちゃんは それをきいて あんしんして すわりこんでしまいました。

「よかった。だけどもう、しばらくは ひとりで うんてんしないことにする」

おかあさんは

「きょうのごはんはなに」

とききました。わかばちゃんが

「とりのグラタン」

とこたえると、おかあさんは、うれしくもなさそうに

「グラタンかあ」

といいました。

 


おわり

 

※事実をもとに脚色・再構成を加えています。