おもしろい話を書くのが得意でない。おもしろい話をするのも同様に得意でない。それはきっと、起こったことをすべて報告しなければフェアな文章/論述にならないという考えをずっと前からもっているからだ。小学校に入ると作文を書かされた。私はその頃まだ学校とは往々にして作文を書かせる場所なのだと知らなかった。その指示を受けるすぐ前に運動会があったためその運動会について書いた(書かされた)。しかし本当にその「運動会について」書くには、当日の朝どのように目覚めたか、朝食に食べたもの、出がけに母親が私に言ったこと、登校して最初に話した友人、次に話した友人、彼ら彼女らと話したこと、すべてを伝わるように書かなければいけない。それでいてそれだけでは運動会について書いたことにはならない。私がどこで生まれ、育ち、なぜその運動会に加わって、砂の上を走ったり玉を転がしたりよくわからない韻文を叫んだりさせられているのか、その説明から始めなくてはいけないと思った。何を省き、何を残せばよいのかが少しもわからず、まわりの小学1年生が1枚2枚の原稿用紙を先生に渡して遊びまわっているあいだ、私は家に持ち帰ってもなお完成しない10枚を超える原稿用紙を前に頭を抱えていた。必要なエピソードを抽出する能力にまったく欠けていることと、自分に得心のいかない文章を人に見せることへの強い羞恥のために、処女作となるべきだった「はじめてのうんどうかい」と同じく、私は小学校で課された感想文の類の8割を提出することができなかった。
けれど提出することのできた数少ない文章のいくつかは小さな賞をとることでその賞同様にささやかな私の自己愛を満たした。副賞は図書カードであるときはよかった。しかしときにはそれが蛍光ペンのセットであったり、表彰状を一枚手渡されてどうだ嬉しかろうといわんばかりの表情を向けられたりして、そんなときはよほど学校をやめてやろうかと思ったが、私の保護者に教育を受けさせる義務が課されている限りそれは容易ではなかったので、高校に進んだ次の年にやめた。もう少し管を巻きたい気分ではあるけれど今日はこんなものにしておく。これを書いている人が必要な思考を抽出する能力にまったく欠けていることはすでによくわかってもらえたと思う。
2023/05/10
大学院生というものになって早1カ月が経つという事実をいまだに呑み込めないでいるのは、自分の研究というものがちっとも進んでいないからだ。講義やゼミに出るのは楽しいし、先生に読めと言われたものは喜んで読むけれど、こと自分の研究となると不安で仕方がなく、ほかならぬ私が国のお金を使ってその作家について、ないしは国や時代について調べることに何の社会的意義があるんだろうということばかり無駄に考える。知り合った院生の研究の話を聞いては馬鹿みたいに「あ~いいですねえ」とか「かっこいいですねえ」とか言って自分の研究以外はみんなすごく格好よくて有意義に見えている気持ちを丸出しにしている自分に気がつく。自分のことをたまらなくみじめな人間だと思う。
というところまで数日前に下書きを書いてそのままにしていた。状況はたいして変わっていない。考えるのはいつも自分のできていないことと会えない猫のことと思うようにならない人間関係のことで、何かの助けにならないかと本をやみくもに注文したり本棚から引っ張り出したりしてはそのどれともわかり合えない自分に絶望する。このブログはこういうことを言う場所にしたくなかったのだけど、今は何もおもしろいことが言えない(これまではおもしろかったのかと言われたら困ってしまうけれど)。
2023年2月3日
非常に寒い。今日は節分で、卒業論文のシモンというやつがあった。シモンというのは、自分の持ってきた腐りかけの魚が白木のまな板の上に載せられて、鼻をつままれながら検分されるような感じの体験。やったことのない人は、一度やってみるといい。でも愉快な体験ではないことはたしかだから、むやみに薦めるつもりもない。
私の卒業論文は一行あたりの字数が指定よりも多かったらしい。私は指定枚数の最後の行までミチミチに書いたので、2枚分くらい超過してしまったことになる。思ってもいなかったことを言われて、真っ白になった頭で、今から直して提出することはできますか、と尋ねた。先生が答えたのは、そうしてもらうか、大きな減点になるでしょう。ということだった。私は受け取ってさえもらえるならよかったので、そうか、残念だけど、よかったなと思った。
シモンが終わったあとは、食事をしに行った。論文について色々なことを立て続けに言われてぼんやりするので、何か口に入れないといけないと思ったからだ。たぶんほとんどすべての大学についていて、いつも何かしらの「フェア」をしている場所のことを学食という。今日は「1年間ありがとうフェア」だった。私は今年度片手で数えられるほどしか学食で食事をしていないし、感謝されるようなことは何もなかった。「ありがとうフェア」の商品も、なにが「ありがとう」なのか、よくわからない。季節ものや、人気のあるものや、そんなマークがついたメニューに悩んだあと、結局何もついていない「豚すき煮」をよそってもらった。「やみつきキャベツ」にはコーンの粒がかかって美味しそうだったので、それもトレーにのせた。朝食を食べてから3時間くらいしか経っていないから、ご飯はもらわずにおいた。自分の意思に反した選択をしやすい私にはめずらしく、自分の食べたいものだけを選べたと思った。
トレーの中身をレジで精算してもらった。最近、大学生協は「アプリ」を導入したという。私はそれを承知してはいたけれど、大学でごはんを食べないから、アメリカの憲法修正くらいのことにしか考えていなかった。だから、いつものカードで「精算ができません」よと言われたときは、大変に面食らった。「アプリに登録してください」ということだった。レジは混んでいなかったけれど、事前に登録しておくべきだったと思う。一旦現金で払うことにすると、数日前の旅行でウノ大会に勝って手に入れた新500円玉が崩れて、少し悔しいような思いがした。席に着くと、いつ箸を取ったのか全く覚えていないのに、トレーに箸が載っていて驚いた。
食事と「アプリ登録」が済んで、次の予定までにも時間があり、さてどうしたものかと決めかね放心していた。30分くらい経つと、シモンの時にいた先生がやってきた。私にはいわゆる指導教員という人が何人かいて、その先生はそのうちの1人でもあった。彼は学生にウケるレトリックをなんとなく心得ていながら、誰ともそんなに仲良くならない、そんな感じのする人だった。彼のジョークは、本気でそう思って言っているのか、それともその場の人にウケるために言っているのか、いまひとつわかりかねる。なので、私はあんまり彼と話すのが得意でなかった。先生のトレーには、私と同じ「やみつきキャベツ」と、豚丼が載っていた。Sサイズだ、と私は思った。彼は食事をしながら、私の論文のことや最近の仕事について当たり障りのない話をひとしきりすると立ち上がって去っていった。午後のシモンを聞くのだという。大変だ。私は帰ることにした。
家に向かうバスに乗っていると、ある女性が話しかけてきた。どうやら私に席を譲ってくれようとしているようなのだけど、私は彼女の言っていることがあまり聞き取れなくて、とりあえずお礼を言いながら降りて行った彼女の席に座った。私の具合が悪そうにでも見えたんだろうかと彼女の言葉の録音を脳内再生していると、つい今しがた私の横に立っていた人が、明らかに少し変わった動きをしているのが見えた。彼女が言っていたのは「あのひと触ろうとしているので、ここ座ってください」だった。お礼を言いたくても、彼女はもうバスを降りてしまって、姿も見えなかった。怖いことがあるものだと思った。
家で自分の顔や爪をいじくって、少し寝ると4時半になっていた。今度はさっきの先生がかねてから計画してくれていた食事会に行くから、服と靴を替えて外に出た。さっきより寒かった。それでも、今日のバスは節分祭で私の卒業論文のようにミチミチだから、自転車で行くことにした。明日からはもっと自転車に乗ろうと思う。なんといっても立春だから。
断片(2023年2月2日)
今日は学部生活最後のテストがあった。その授業は先生が出席をとらないので2回か3回しか出ていなくて、この授業の単位を取れないと卒業できませんから気をつけて取ってくださいね、と教務の人に釘を刺されていた授業だったので1週間くらい前からにわかに不安になり、かといって何をするでもなくその先生の書いた新書をぱらぱらめくったりしていた。前日はすごく眠かったので6時に起きて午前中勉強すればいいと考えて寝ることにしたのが10時ぐらいだった。起きたのも10時だったので勉強は1時間くらいしかできなかった。夢の中でも眠くて、21時50分台に起きてショックを受ける場面があった。今年の冬はすごく眠い冬で、眠いから授業にも出なかった。次の冬はそんなに眠くない冬だといい。眠いせいで1年が8か月になってしまうから。
テストが終わってすぐに帰る気にもならなかったので、大学内の飲食スペースでミルクティーを買って飲んだ。飲みながら最近買った後藤護さんの『黒人音楽史 奇想の宇宙』を読もうと思った。まだ読み始めたところなので感想は書けないが、黒人音楽を後期ルネサンスのマニエリスムやゴシック文学の文化史に連ねる試み。後藤さんは研究の先達として学魔高山宏先生のお名前を挙げているが、2年位前に高山先生の書いたものを読んで、そこからグスタフ・ルネ・ホッケのことを知ってシェイクスピアのことを調べたことがあった。高山先生もホッケ先生も面白いのでおすすめする。小さいころ食卓にホッケが並ぶたび、この干物をマヨネーズにつけて食べるのが居酒屋の定番なんだという母の話を聞いてきたのに、実際に居酒屋さんでホッケを食べたことがない。今度食べにいきたいけど、どこにあるんだろうか。ホッケが食べられる場所をわざわざ検索するのもおかしい気がする。
本を読むのも眠かったので、なんとなくYouTubeを開いた。スクロールしていたら、ある動画が勝手に始まったのでそれをながめることにした。TWICEというグループのナヨンさんと、同じグループのダヒョンさんとの間に不和があるという風説を、いくつかの動画を根拠に否定する動画で、全体で6分くらいあった。私の中学生の時の持久走のタイムと大体同じだ。そんな風説があること自体知らなかったが、ナヨンさんには少し思い入れがあるので、擁護されているのを見るのに悪い気はしなかった。外部の人間が勝手に好きだ嫌いだをはやし立てるのはナヨンさんにもダヒョンさんにも失礼で、そんな噂を流す人のことを嫌だなと思ったが、私の卒論も言ってみれば人と人がいがみあっているのをつついたようなところがあるので何とも言えなかった。不快なものと面白いものとは、ほとんど隣くらい近くにあるのだ。アンジェイ・ズラウスキーとか、パゾリーニの『ソドムの市』とか、最近知ったキム・ギヨンとかの映画を観ているとすごくよくわかる。
2分くらいで、風説がまったくの無根拠だという動画作成者の主張は十分に理解できたので見るのをやめた。ツウィさんはいつどの角度で画面に映っても美しいのですごい。そのあと5分くらい放心していたが、家の鍵をかけていないのを思い出して帰ることにした。最近自転車を買った。コストコで。結構大きくて、新しいのでつやつやしている。考えてみると自分で自転車を買うのは初めてだ。12歳くらいの時に買ってもらったものをなくして以来持っていなくて、そのうちに家人の自転車が「家の自転車」化してきたので、それに乗っていた。この間パンクするまで乗っていた、知り合いに譲ってもらった自転車が久しぶりの「自分の自転車」だった。そして今度は自分の自転車を買ってしまった。自分で自転車を買うなんてかなり大人だ。だけどそれを言うなら、私は今自分の家賃まで払っているらしいし、気づかないうちにすごく大人になっているようだ。大人は1カ月に10万円も20万円も使うというから。
新しい自転車はしっかりしてよく走りそうで、それでいてカゴも大きく、アイドルでいうとEXOのシウミンさんみたいなタイプだ。フレームがサドルの下からハンドルまで一直線につながっているので、乗り降りの際は大きく跨がないといけない。母親はこの自転車を一目見るなり、絶対に転ぶから怪我をする前にいますぐ売れと私に迫ってきた。母親はこのタイプの自転車で転んだことがあって、彼女の中の私は私の中の私よりもかなり彼女に似ているので、私にも遠からず同様のことが起こると思い込んでいるのだ。こちらとしては買ったばかりのシウミンさんを手放すことは考えられないので、私と彼女が似ているようでかなり違うことをまくし立ててしまった。今考えると、心配してくれた人に対してあんな言い方をしなくても良かったかもしれない。転びそうなことは確かに否定できないから。昔バレエの教室から帰っていたとき、傘が車輪に嚙んで自転車から放り出されたことがあった。自転車は田んぼ脇の水路に半分突っ込んで、傘は折れてしまっていた。黄色い傘だったので、夜の水路の中でもすぐに見つかった。同じ転び方をした人とこの間話をした。その人はそのとき腕が折れてしまったらしいから、すり傷一つなかった私は運が良かったのだろう。バレエをしていると怪我をしづらいというけれど、あの時私がほとんど怪我をしなかったのは体が柔らかいからとかではなくて、中にタイツを着こんでいたからすりむかなかっただけだろうと思う。
その時期は同じ教室に通っていて家が近くの友人のお母さんに迎えに来てもらい、3人で帰っていたのだが、そのお母さんは一緒に走っていた子どもの自転車が突然倒れて大いに肝を冷やしたことだったろう。その友人とは彼女が教室に入ってきて以来6年くらい一緒に通った。お互いの家の中間地点で待ち合わせてから向かうのが同じ曜日同じ時間に週2回かならずあったのに、私たちは毎回どちらかがどちらかの家に電話してその日の待ち合わせの時間を決めていた。毎回の時間を決めたらと母親に何度言われても(そしてたぶん向こうのお母さんも彼女に何度となく言ったと思うが、それでも)、私たちは毎回電話して今日は50分とか今日は55分とか決めていた。単純計算で576回くらい電話をしてそうやって通っていたことになる。今になって思うのは、そうすることに特に理由はなかったし、すごく非生産的だということだ。彼女の電話番号は自分の電話番号の次によく覚えていたのだが、今思いだそうとしてみても思い出せなかった。
自転車で帰る途中にある神社で節分のお祭りをしていた。行きしに見たときはさしたる印象もなかったのだが、帰りには火を焚いているのが見えたので寄ってみた。火には人を引き寄せて固定する力がある。繁盛していないお店や一人暮らしで寂しい人は火を焚くといいと思う。火を見た後にお参りをして、くじを引いた。今年はたぶん人生で初めて元旦に初詣に行かなかった。今年は人生で初めてのことがすでに多い。一行目から「学者出家などする人」に向けたメッセージだった。学問と出家は一緒くたにされるものらしい。あとは能力を無駄にせず真面目にがんばれよと書いてあった。こちらは眠いのに面倒なことを言わないでほしい。
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