断片(2023年2月2日)

 今日は学部生活最後のテストがあった。その授業は先生が出席をとらないので2回か3回しか出ていなくて、この授業の単位を取れないと卒業できませんから気をつけて取ってくださいね、と教務の人に釘を刺されていた授業だったので1週間くらい前からにわかに不安になり、かといって何をするでもなくその先生の書いた新書をぱらぱらめくったりしていた。前日はすごく眠かったので6時に起きて午前中勉強すればいいと考えて寝ることにしたのが10時ぐらいだった。起きたのも10時だったので勉強は1時間くらいしかできなかった。夢の中でも眠くて、21時50分台に起きてショックを受ける場面があった。今年の冬はすごく眠い冬で、眠いから授業にも出なかった。次の冬はそんなに眠くない冬だといい。眠いせいで1年が8か月になってしまうから。
 テストが終わってすぐに帰る気にもならなかったので、大学内の飲食スペースでミルクティーを買って飲んだ。飲みながら最近買った後藤護さんの『黒人音楽史 奇想の宇宙』を読もうと思った。まだ読み始めたところなので感想は書けないが、黒人音楽を後期ルネサンスマニエリスムやゴシック文学の文化史に連ねる試み。後藤さんは研究の先達として学魔高山宏先生のお名前を挙げているが、2年位前に高山先生の書いたものを読んで、そこからグスタフ・ルネ・ホッケのことを知ってシェイクスピアのことを調べたことがあった。高山先生もホッケ先生も面白いのでおすすめする。小さいころ食卓にホッケが並ぶたび、この干物をマヨネーズにつけて食べるのが居酒屋の定番なんだという母の話を聞いてきたのに、実際に居酒屋さんでホッケを食べたことがない。今度食べにいきたいけど、どこにあるんだろうか。ホッケが食べられる場所をわざわざ検索するのもおかしい気がする。
 本を読むのも眠かったので、なんとなくYouTubeを開いた。スクロールしていたら、ある動画が勝手に始まったのでそれをながめることにした。TWICEというグループのナヨンさんと、同じグループのダヒョンさんとの間に不和があるという風説を、いくつかの動画を根拠に否定する動画で、全体で6分くらいあった。私の中学生の時の持久走のタイムと大体同じだ。そんな風説があること自体知らなかったが、ナヨンさんには少し思い入れがあるので、擁護されているのを見るのに悪い気はしなかった。外部の人間が勝手に好きだ嫌いだをはやし立てるのはナヨンさんにもダヒョンさんにも失礼で、そんな噂を流す人のことを嫌だなと思ったが、私の卒論も言ってみれば人と人がいがみあっているのをつついたようなところがあるので何とも言えなかった。不快なものと面白いものとは、ほとんど隣くらい近くにあるのだ。アンジェイ・ズラウスキーとか、パゾリーニの『ソドムの市』とか、最近知ったキム・ギヨンとかの映画を観ているとすごくよくわかる。
 2分くらいで、風説がまったくの無根拠だという動画作成者の主張は十分に理解できたので見るのをやめた。ツウィさんはいつどの角度で画面に映っても美しいのですごい。そのあと5分くらい放心していたが、家の鍵をかけていないのを思い出して帰ることにした。最近自転車を買った。コストコで。結構大きくて、新しいのでつやつやしている。考えてみると自分で自転車を買うのは初めてだ。12歳くらいの時に買ってもらったものをなくして以来持っていなくて、そのうちに家人の自転車が「家の自転車」化してきたので、それに乗っていた。この間パンクするまで乗っていた、知り合いに譲ってもらった自転車が久しぶりの「自分の自転車」だった。そして今度は自分の自転車を買ってしまった。自分で自転車を買うなんてかなり大人だ。だけどそれを言うなら、私は今自分の家賃まで払っているらしいし、気づかないうちにすごく大人になっているようだ。大人は1カ月に10万円も20万円も使うというから。
 新しい自転車はしっかりしてよく走りそうで、それでいてカゴも大きく、アイドルでいうとEXOのシウミンさんみたいなタイプだ。フレームがサドルの下からハンドルまで一直線につながっているので、乗り降りの際は大きく跨がないといけない。母親はこの自転車を一目見るなり、絶対に転ぶから怪我をする前にいますぐ売れと私に迫ってきた。母親はこのタイプの自転車で転んだことがあって、彼女の中の私は私の中の私よりもかなり彼女に似ているので、私にも遠からず同様のことが起こると思い込んでいるのだ。こちらとしては買ったばかりのシウミンさんを手放すことは考えられないので、私と彼女が似ているようでかなり違うことをまくし立ててしまった。今考えると、心配してくれた人に対してあんな言い方をしなくても良かったかもしれない。転びそうなことは確かに否定できないから。昔バレエの教室から帰っていたとき、傘が車輪に嚙んで自転車から放り出されたことがあった。自転車は田んぼ脇の水路に半分突っ込んで、傘は折れてしまっていた。黄色い傘だったので、夜の水路の中でもすぐに見つかった。同じ転び方をした人とこの間話をした。その人はそのとき腕が折れてしまったらしいから、すり傷一つなかった私は運が良かったのだろう。バレエをしていると怪我をしづらいというけれど、あの時私がほとんど怪我をしなかったのは体が柔らかいからとかではなくて、中にタイツを着こんでいたからすりむかなかっただけだろうと思う。
 その時期は同じ教室に通っていて家が近くの友人のお母さんに迎えに来てもらい、3人で帰っていたのだが、そのお母さんは一緒に走っていた子どもの自転車が突然倒れて大いに肝を冷やしたことだったろう。その友人とは彼女が教室に入ってきて以来6年くらい一緒に通った。お互いの家の中間地点で待ち合わせてから向かうのが同じ曜日同じ時間に週2回かならずあったのに、私たちは毎回どちらかがどちらかの家に電話してその日の待ち合わせの時間を決めていた。毎回の時間を決めたらと母親に何度言われても(そしてたぶん向こうのお母さんも彼女に何度となく言ったと思うが、それでも)、私たちは毎回電話して今日は50分とか今日は55分とか決めていた。単純計算で576回くらい電話をしてそうやって通っていたことになる。今になって思うのは、そうすることに特に理由はなかったし、すごく非生産的だということだ。彼女の電話番号は自分の電話番号の次によく覚えていたのだが、今思いだそうとしてみても思い出せなかった。
 自転車で帰る途中にある神社で節分のお祭りをしていた。行きしに見たときはさしたる印象もなかったのだが、帰りには火を焚いているのが見えたので寄ってみた。火には人を引き寄せて固定する力がある。繁盛していないお店や一人暮らしで寂しい人は火を焚くといいと思う。火を見た後にお参りをして、くじを引いた。今年はたぶん人生で初めて元旦に初詣に行かなかった。今年は人生で初めてのことがすでに多い。一行目から「学者出家などする人」に向けたメッセージだった。学問と出家は一緒くたにされるものらしい。あとは能力を無駄にせず真面目にがんばれよと書いてあった。こちらは眠いのに面倒なことを言わないでほしい。